
I-15に乗っている間じゅう、ずっと晴れていた。
レンタカーは、フォードのスタンダードクラス。ダッシュボードの上に、無造作に砂袋で据え付けられたGARMINのカー・ナビゲーションは、ただまっすぐ、行く先を指すだけだった。
フォトグラファーとそのアシスタントと私、3人で交代しながらハンドルを握った。
これ、ナビを借りた意味あったのかな。
5時間、4時間、3時間と、到着までの時間が減ってゆく。
ゆるやかに上ったり下ったりしながら走る。車窓はただ、砂漠を映しているだけだ。時折、ガス・ステーションやダイナーの巨大な看板が通り過ぎる。スピード・リミットは70マイル。走っても走っても、永遠のように同じ風景が過ぎてゆく。
まるで、日々のように。
連なる赤い貨物列車が併走して近づき、やがて離れていった。
ロサンゼルスでの仕事を終え、ラスベガスまで車を走らせてみようと考えたのは、ほんの思いつきだった。創刊といわれて異動した新しい部署。プロジェクトリーダーを任命されて準備を進めるうち、会社から思いがけない判断が下された。
創刊ではなく、既存の定期刊行誌の名を冠した、一回きりの別冊に変更。
…なぜ、今になって。
これまで社外から集めてきたスタッフと予算は、そして進行中の数々の企画は。定期刊行を前提に、多くのものごとを動かしていた。ロサンゼルスでのファッション撮影も、そのうちのひとつだった。
振り切るように、スタッフとともに渡航した。
ロデオ・ドライブからサンタモニカ・ビーチまで、現地でのモデルのオーディションとファッション撮影。日本でアイドル活動をしたのち、ハリウッド俳優になった女性の撮影とインタビュー。現地ではたらく日本人女性たち。
すさまじいスピードで進めることができたのは、立ち止まって考えたくなかったからかもしれない。
結果、予備日を使わずに済んだ。1日、余裕ができた。
明日はどうする。まさか、いまさらハリウッド・ウォーク・オブ・フェームまで行きたいわけじゃないだろう? だったら、今日のうちに車でラスベガスまで走ってみるか。そう決めて、出かけたのだ。
カー・ナビゲーションのアナウンスは女性の声だった。よくしゃべるその声を聞き飽きていたくらいだ。ところがI-10からオンタリオを過ぎてI-15へ入ったとたん、黙り込んだ。なにしろ、ひたすら北東へとまっすぐ向かうだけだったから。
しばらくすると、いきなり彼女が口を開いた。
「ゴー・ストレート」。
それから幾度か休憩をして、運転を交代しながら走った私たちに、彼女は思い出したように声をかけてきた。「ゴー・ストレート」。
最初は楽しかった運転も、変わらぬ景色を眺めながら、いつ尽きるともわからない道を走っていると、だんだんつらくなってくる。どうして私たち、ラスベガスに行こうと思ったんだっけ。そんな気持ちすら湧いてきた。皆、無口になる。

夕闇があたりを包んだかと思うと、砂漠はストンと暮れた。あとはただ、夜をゆくだけとなった。
「ゴー・ストレート」と、時折、思い出したように彼女は言う。
50回、いや、100回聞いたかもしれない。
遠くが急にふわりと明るくなった。ぽつり、ぽつりと看板が行き過ぎたかと思うと、いきなり大量の照明に包まれる。
ラスベガスに着いたのだ。
I-15と平行に走るストリップを彩るネオンサインがキラキラと光って、ようこそラスベガスへと派手に告げる。まさに砂上の楼閣。この街がこんなところにあるとは、飛行機で来ているだけではわからないままだったかもしれない。
宿は、高層ホテルの上階だった。翌朝、窓から見下ろした街は、夜の光が嘘のような舞台装置に見えた。
私たちはまたロサンゼルスに向けて帰った。けれど、帰路のことはあまり覚えていない。
そして、いまでも思い出すのは、ただひたすらに続く道と、あの無機質な彼女の声なのだ。
漕ぎだしたのに、もう帆をたたまなければならないことがわかっているプロジェクトに、ただ一度だけの責任者として、自らの名を刻むことになる。そのときの私に、あまりにもふさわしい言葉だったからかもしれない。
ゴー・ストレート。
インターステート15、ラスベガスまで。